ものすごいアップダウンの山道を歩き続けた。
寝袋をいれたリュックサックを背負いながら。
絶対に歩ける自信はあったのだが、着いたときの体調が心配だった。
山の向こうに煙が見える。
きっとあそこまで歩くんだろう。
あそこに山岳民族のラフ族が住んでいるだろうって思いながら歩き続けた。
途中で1回休憩があった。
肩からかけた水が温かくなっている。
顔が赤くなってることがわかる。
熱がこもっているんだろう。
「もうすぐ。もうそこ。」
ガイドさんが行った。
しばらく歩いていると、村が出現した。
赤土の上に家が点在している。
人口は160人くらいらしい。
家は約40件あるそうだ。
村全体の広さは学校の運動場くらいだ。
学校の運動場くらいの広さの場所に赤土の道がくねくねとあり、その道沿いにポツポツ家がある。
僕らが到着すると、2人の子供達が僕らのことをチラチラ見ながら自転車の古タイヤで遊んでいる。
その村で一番大きい家の前に案内され、それぞれがホームステイする部屋を割り振られた。
僕はたまたま一番大きいその家に案内された。
家の中にはいるとそこのおとうさんとおかあさんがいた。
「おぶーじゃ」
ラフ語の挨拶をしたら、「おぶーじゃ」と返事が返ってきた。
そのときに手を合わせながら、言っている。
そうか、手を合わせながら挨拶するのか。
今度からそうしうよう。
ラフ族に僕らがどういう風に紹介されているかわからない。
挨拶を交わしたことで、とりあえず嫌がられていないもしくは怒ってないことはわかった。
奥にはいっていいか?というゼスチャーをしたら、はいどうぞ。というリアクションだった。
中は思ったよりきれいだった。
部屋は空中だ。
典型的な建物はこんな感じだ。
日本で言うと1階と2階の高さの中くらいにある。
床を竹で作ってあるために、ほこりは簡単に床下に落ちていく。
床下は子供の身長くらいの高さがあり、村中にいる豚やにわとりが道路や床下を自由に動き回っている。
そのあと、村を探検してみた。
小さな川が流れていて、他にも村から出る道があるみたいだ。
一頭だが象も見た。
乗れるようになっているので、野生ではないことは確かだ。
飼われているものらしい。
ラフ族の人たちは普通は、Tシャツのような感じの普段着を着ているようだった。
夜は僕らのために祭りを開いてくれた。
全体的に、お客さんとして迎えてくれているような雰囲気で、居心地はよかった。
言い方を変えると、ラフ村という村の民間ホテルに泊まってるような感じだった。
例えば、食事も僕らには最高のものを振舞ってくれて、現地の人とは内容が違っていた。
現地の人はご飯と野菜と卵っていうような質素なものだった。
この写真は6人分の料理だ。
ごはんとスープが一人ずつ、野菜と炒め物はみんなで食べる形式だった。
たくさん食べた方が喜ばれるということで、ガンガン食べた。
ラフ族の村を快適に過ごせたのは、これは村を富ませるための財団のアイデアであると考えられる。
このアイデアは、巧妙でさすがだと思った。
財団に村に入る前に注意されたことは大きく2つである。
1.宗教のルールを守って欲しい。
(触っていけないものや、やってはいけないことがいくつかあった。)
2.お金を渡さないで欲しい。
だ。
例えば、僕が…例えばである。
その村に100万円寄付したとする。
貨幣価値が違う村だ。
結構なことができるような気がする。
ところが、それをしてもだめだと思うのだ。
テスト勉強と同じで、子供に何かのテストで採点を甘くして100点を無理やりあげたとしても、その子は100点をとる方法を学んでいないので、次回のテストで100点が取れない。
一方、こうやれば単語の点が取れるよ。っていうことを説明してあげて、本当に単語の点が取れると次から単語ができるようになる可能性がある。
そのとき、こっそり甘めの採点をしてあげるという手法だ。
甘めの採点であることを、子供は知らなくても、単語を覚えたことに点が上がれば、次回も単語を覚える可能性がある。
そうやってたまっていくのはスキルなので、その子の実力になる。
同様のやり方だと思う。
もちろん、村の人のことを説明するのに、子供で喩えるのはどうかと思うのだが、でも思想は同じだと思った。
現地のお母さんが売るものを買うのはいいけど、お金はあげないで下さい。という発想は、今まで自給自足で生活していた村の人に、文化の違う人にモノを売るというスキルがたまるし、自分たちの作っている文化が、世界的に価値があるということを教えてあげることになる気がする。
しかも、現地のモノは買っていいですという言葉には。現地のモノを買ってあげてね。という含みがあると思う。
100万円をあげて、水道を引いてあげるのはいいと思うのだが、それではその村が発展していくことにはならないだろう。
今回、僕らがお客さんとしてもてなされたのも、きっと村にいくらかのお金が支払われていて、僕らの食事代なんかにも使われていると思った。
正直なところ、ご飯がゴージャスでうれしかった。
お客さん待遇でうれしかった。
僕は疲労と不安で、心が疲れていたのだから…
次の日。
ラフ族の村を離れ、アカ族の村へと移動した。
アカ族の生活はラフ族よりびっくりだった。
もし、ラフ族に行くのと、アカ族に行くことの順番が違っていたら、ちょっとヤバかったかもしれない…