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僕らにできること。4

僕らにできること。3 http://mikamijuku.jugem.jp/?cid=13 のつづき

そして僕らは近くの小学校を訪問させてもらった。


タイの小学校

最初、遠巻きに見ていた。

日本の学校とどう違うのかちょっとくらい見てみたかった。

見た目は大体同じだ。


小学校の中に入ってみたい。

もっと身近に感じたい…



あっ。

子供たち

いきなりやってきた3人組。


「フラフープの君、そのフラフープが素敵だね。渋谷で買ったの?」

「真ん中の子、靴下はいてないって逆におしゃれだよね。僕も今日は靴下はいてないんだよ。」

「あー?君は三蔵法師に頭のわっかをはめられちゃったのかなー?早く天竺に行かないとね。」

なんて話しているうちに仲良くなった。

この3人が本当にいい子たちで、見ず知らずの僕らに学校の中をガンガン案内してくれた。

100830_1029~01.jpg


先生とすれ違っても、「日本から来てタイのことを勉強してるんですって。」ってな感じでどんどん紹介してくれる。

「まあ、それはすばらしいわ。ゆっくり見ていってね。」ってな雰囲気で、ちょっとびっくりだったのだが、ま、お言葉に甘えて…


いろいろ見たのだが、2番目にびっくりしたのがこれだ。

タイのキノコ

「これはね。学校で栽培しているのよ。」

と、先生がおっしゃる。

栽培って…そのカビのような袋はなんなのでしょう?

よく見ていいですか?

キノコ

どぅおー。

出とるよー。

何かが…

どうもキノコを栽培してみんなのお昼ご飯にしてるらしい。


もっとすごかったのは…

それが1番びっくりだったのだが、トイレの裏にプールを作って茶色のカエルを養殖していた。
(写真は撮らなかった)

臭いがすごいと言われて見てみたが、ドブのような臭いだった。

トイレの裏から配管が出て、そのままそのプールにつながっているように見える。

もしかしたら、人間が出したものが餌?または環境作り…?

あまり詳しく聞ける雰囲気じゃなかったけど、トイレとは密接な関係がありそうだった。


何か朝礼のようなものもあった。

100830_1038~01.jpg

ま、経験だからと、小学生に混ぜてもらって参加させてもらった。

最初、国旗の掲揚やって、それから国民憲章だか学校憲章だからわからないけど、みんなの唱和があった。

よくわからないなりに、雰囲気だけは真似てみた。



これは瞑想の授業らしい。

瞑想の授業

瞑想なんかしてないじゃん。

と思っていたら、少しして瞑想が始まった。




最後に…

食堂2

食堂では、みんなのご飯をつくっていたが、そこに小さい売店があった。

売店には、うまか棒レボーのお菓子が売っていた。

僕らをガイドしてくれたみんなにお菓子を配ろうと、そこにあるお菓子を全部買い占めたのだが、「おいしいわよ。食べて食べて。」な雰囲気が強すぎて、配ってあげようとしても、「日本人のあんたが食べてみてよ。」と言われ続け、大量のお菓子を持ち帰ることになった。




…ま、それは山岳民族の村で、全く言葉の通じない大人たちと一緒に食ったんだけど…



世界は広い。

そして文化が急速にシャッフルされ始めている。

いつかは、ほとんどみんな同じ習慣をもつようになるだろう。
(たぶん、宗教が一番遅れると思うけど)


「日本で仕事をする。」という考え方は「東京で仕事をする。」とか「福岡で仕事をする。」というというくらいの軽さになるかもしれない。

転勤で世界を動くようになる人が増えるだろうし、フリーターで世界にバイトに行ったりする人も増えるだろう。

ホームレスは思いっきり、スラム街に行っちゃうかもしれない。


若い人には思う。

時代は人間が作っている。


いろいろなことを見たり聞いたりして、日本のことだけじゃなく、地球の若者と会話がガンガン弾むよな経験値を送って欲しいな。

チャンスがあったらいろいろな体験をして欲しいと思う。


少年よ。

大志を抱け。

大志を抱くんだよ。

どでかい大志を…


そう思う。



つづくのであった。

| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(0) | - |
僕らにできること。3
 僕らにできること。1,2( http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=6053 , http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=6060 )の続き

そして僕らは、三輪さんから話を伺った。

なぜ、この寮を作ったのか?

寮を作る前はどんなことをされていたのか?

寮を作るときの苦労は?


写真家の三輪さんは、少数民族の写真を撮りながら、タイやラオスなどの山奥の村を転々と移動していたらしい。

あるとき、少数民族にお世話になったという人に勧められて、寮を始めたということだった。

寮にはたくさんの民族服などが展示されていた。

民族服3

民族服2

民族服1

僕も過去に2つの村に泊まったことがあるが、何度も服や鞄なんかを買ってくれと村人が来る。

これだけの種類の服も、きっと自然にいっぱいたまったのかななんて考えたりした。


今回、言葉が通じたことが本当に感激だった。

今までは、質問しても英語が普通だったので、微妙な質問もできないし、僕らの気持ちを説明することも難しかった。

でも、日本語だと本当に思ったことが伝えられるし、受ける説明も本当にわかりやすい。


「日本とはこう違う。」

「タイ人はこう思ってるんじゃないかな?」


そういう風に教えてもらえると本当に分かりやすかった。



「あるときね。

メコン川を歩いてたんですよ。

乾季はね。

干上がるんですよ。

だから、川を歩けるんですけどね、そこでね。

マラリアにやられて…」

そんな話は本当に引き込まれてしまう。

メコン川を歩いたことないし、想像もある程度しかできないけど、僕の生き方と全然違う。

これからもたくさんの子供たちとタイで暮らしていく三輪さんと、日本で塾やってる僕。

みんなじゃないが、何人かは大学にも進学するらしい。


雨季と乾季のタイ。

四季の日本。

ああ、浪漫だな〜。

とか勝手に思ったりしてしまう。



続く。
| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(0) | - |
僕らにできること。2

僕らにできること。1( http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=6053 )の続き


さくら寮は、バンコクから北に800キロ。タイ最北の県にあった。

まず、さくら寮を探すのに難航した。

僕の10級レベルのタイ語では「さくら寮」という言葉が通じない(発音の問題)。

英語でドミトリーと言ってもも全く通じない。

第一、そこは英語のドミトリーに該当する形態の寮かどうかもわからない。

結局、タクシーセンターのようなところに行って、さくら寮の電話番号を見せて、連絡をとってもらった。

そして僕らはさくら寮に着いた。

さくら寮では、三輪さんから多くの勉強になる話を教えていただいた。

あとで少し書いてみようと思う。


珍しい光景がいくつかあったので、ちょっと載せてみよう。

まずは犬だ。

タイは本当に犬が多い。

ネコの100倍くらいいるんじゃないだろうか?



ところで…

チャウチャウ

こいつ。

こいつチャウチャウなんじゃないか??

よく見えないけど、ものすごくモフモフしていて、舌が黒かった。

チャウチャウはかわいいんだけど、アメリカ人から「チャウは超危険な犬だ。」ってさんざん教えられていたので、危険なのかな?とかも思ったりもしたが…

うーん、普通に寮で飼われている(もしくは寮に勝手に住みついている)平和を愛する犬にしか見えなかった。

触ってみたかったけど、なんかいろいろ不安があったので、お互い目であいさつし合う程度の関係だった。

僕らが帰るときには、このチャウチャウは目に涙を浮かべながら遠吠えを3回して別れを惜しんだり…するわけもなく、普通にシカトだった。


あと、これ。

カタツムリ。

カタツムリ

おい。

なんかおかしいだろう。

お前の家はマキガイか?

なんて思ってしまった。

で、不思議なことにカタツムリは全部マキガイタイプだった。

持って帰って、日本のカタツムリと一緒に並べてみたい衝動に駆られた。





知ってる人は知ってると思うが…実は日本に帰ってからデジカメがクラッシュしてしまい、肝心の写真が今回は少ない。

最初に撮ったどうでもいいチャウチャウとかカタツムリは壊れる前に転送をかけていて、セーフだったのがメインの写真がちょっと少ない。

さて、少ない写真ながらなんとかがんばって報告ブログを書きたいと思っている。



つづく。

(なんだったんだ、この記事は!ないんかい、感動の話は!!)

| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(0) | - |
僕らにできること。1

僕らは定期的に海外の貧しいところを、見学したり支援したりしている。

「お金があったら、僕もやるんですが…」

ということをよく言われる。

そのお金っていくらのことを言うんだろう?

って思う。

1万貯めたら、2万円欲しいと思う。

2万円の人は3万円欲しいと思う。

結局、自分のお金なんだから、他人のためになんか使いたくないのは誰だって同じだ。

「お金が余るほどあれば、寄付するのに。」

誰でも思うことだ。

僕らだって、お金が余ってるわけじゃない。

でも、善行をしながら日本一を目指そう。って最初から決めていた。

だから、僕らなりにがんばっている。


先日、タイの少数民族支援の孤児院を訪問してきたので紹介したい。

タイの北部には少数民族と呼ばれる人たちがいる。

その人たちは、タイ民族から差別を受けることが多く、また貧困と戦っている。


今回はタイの最北の県(ミャンマーとラオスの国境に位置する)のチェンラーイ県に行った。

さくら寮という名前の孤児院にお邪魔させていただいた。

なぜ、さくら寮に行ったかというのには理由がある。

タイは、国民優遇の政策が多く、外人が何かをしようとする場合に障壁がいくつもある。

例えば、外人は土地を買うことができない。

株式会社を作ってもタイ人が51%以上の株を保有していなければならない。

など、まるで経済特区の逆のような感じである。

とにかく外人がなにかをしようとすると結構な抵抗に遭う国で、いかにして日本人が孤児院を作ったのか?そしてどういう風に運営がなされているのか?

それが知りたくて、さくら寮の三輪さんを訪ねた。

そこで本当によくしていただいて、そして僕らも色々なことを学ぶことができたので、ブログを読んで切れているみなさんと知識を共有したいと思う。

ブランコ

| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(0) | - |
僕がつくるNGO。

NGOのことをいろいろ考えていたが、やっとまとまった。

小さいことはまだ決めてないけど、大枠だけは決めた。


まず、僕の厳密に言えば、NGOでもNPOでもない。

それは前にも書いた通りだ。

http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=4730

NGO的な会社だ。

僕はボランティアの会社を作る。


炎集団にはクレドがある。

http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=2325

これだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

炎集団クレド

炎集団は受験という人生の貴重な期間を通じ、がんばること、継続すること、そしてその他の多くのことを学ぶ(学んだ)仲間の集まりです。

私たちがいて、幸せになったと喜んでくれる人が地球に増えるように、みんなでがんばって成長していきます。

善に守られ、みんなの幸せが増えるようにがんばることをがんばり続けます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

で、このクレドを守りながら、NGO的会社を作る。


さて…

どこに作るか?


タイに作るか?

フィリピンに作るか?

カンボジアに作るか?

ベトナムに作るか?

ネパールに作るか?

ミャンマーに作るか?


何を活動のメインにするか?


学校を作るのか?

医療支援をするのか?

ストリートチルドレンを減らすか?

生活環境改善を目指すのか?



僕の作るNGO的会社はちょっと違う。

僕の作るNGOはそういうのじゃない。


例えば、どこかの地域、例えばどこかに学校を作るとする。

でも、それを自分の力で運営がうまくいくようにしていくのはきっと至難だと思う。

だから学校を作ったり、病院を作ったりすることは僕にとって難易度が高いし、成功させようと思うと専従でやるようなレベルだと思うのだ。

そういうのはね。

ボランティアは、僕の仕事であるわけじゃない。

自分の財団でも作って、それに専従で取り組むのならできると思うが、僕にそこまでできるとは思っていない。

それ以前に僕は経営者だ。


だからこうする。


どこの国にそのNGO的会社の拠点を作るのか?




日本だ。




その活動の目的は何か?

炎集団のクレドに従って活動の目的を定めたい。

ボランティアや支援を通じて、日本の子供たちの心を豊かにし、外国の人々の生活や心を豊かにすること。


何をするのか?

することは3つだ。


1.お金を集めること。

どこのNGOでも資金が足りないはずだ。

どこのNGOだって資金があれば、もっといいことができるに違いない。

その資金を集めたいと思う。

街頭募金やみんなのお金を出し合ったりしてその資金を作りたい。

そして、NGOの活動をしているプロの集団に使ってもらおうと思う。

僕が使う方が本当は気持ちがいいのだが、でもきっとプロの人たちの方がいいお金の使い方ができると思う。

だから、僕はNGOにお金を届けるNGOを作ろうと思う。

それを完全にいいお金として使ってもらえるように、仕組みを作っていきたい。

で、やり甲斐がわくように、僕らの名前がどこかに残るような工夫をしていきたい。

それが日本の文化にボランティアの心を根付かせるためのカスタマイズだと僕は思う。


2.子供たちに見る勉強をしてもらうこと。

百聞は一見に如かずなんだから、海外NGOと提携させてもらって、みんなが海外のNGOの様子を見に行けるツアーを企画したい。

海外にはどんな人ががんばっているのか?

日本はどれくらい恵まれているのか?

こういうのを自分の目を通して見てもらいたいし、考えてもらいたい。

若い多感なみんなに多く見てもらえるようなツアーを企画したいと思う。


3.海外の様子を伝えること。

http://mikamijuku.jugem.jp/?eid=3522

以前、mattのユーチューブを紹介した。

mattいわく、ダンスに国境はないらしい。

簡単なダンスで世界が笑顔になると言っている。

mattがユーチューブで、世界中にmattの活動を知らせたように、僕も世界のNGOの活動を知らせたいと思う。

だから、NGOの活動を実際に見に行きたいと思う。

もちろん、自分ひとりである必要はない。

賛同者がいれば賛同者と一緒に活動を見に行って、一人でも多くの人にその様子を伝えたいと思う。

そしてそのことが募金活動につながればいいと思うし、安全なところであれば、子供たちとも行ってみたいと思う。



つまり…

僕のつくるNGOは、世界の幸せを増やし、日本人の心を豊かにするために作りたいとそう思うのだ。


というわけでだ。

NGOの活動資金として貯金をしていこうと思う。

スタートの貯金はこれを充てたい。

200910062319000.jpg

金沢炎集団の先生たちと貯めてきたこのお金を、NGOのスタート資金にしたい。

今からやろうと思う活動のスタートをここから始めたいと思う。

一緒にお金を貯めてきたハル先生。NERO先生。TOMMY先生。ムメイ先生。

これ使っていいですか?

さらに金沢炎集団を勝手に会員にしていいですかー?



最後に、僕の仕事は経営だ。

経営とボランティアの優先順位が変わることはあり得ない。


自分の仕事をきちんとやって、他の人にも貢献できたらと僕は考えている

| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(5) | trackbacks(0) |
タイの恵まれない村に学校を作る。最終
あなたは餓死の危機を感じたことあるだろうか?

あなたは勉強したいけどできないと思ったことはあるだろう?

あなたは裕福な生活ができていることに気づいているだろうか?


何度かブログにも書いてきたが、がんばれる能力を神から授かった人はがんばらないといけないと思っている。

会社なんかいると、同じ給料だったら楽をしてる方が得だとかいう風潮があったりする。

どうせ時給は上がらないし…

そういうものじゃない。


炎集団のコンセプトだってそうだ。

がんばらずに遊びながら80点とることと、みっともないくらいがんばって85点取ることどっちがカッコいいんだ?ってことだ。

がんばってる方がカッコいいに決まっている。

第一、がんばる姿そのものがカッコいい。


我々は日本という豊かな国に生まれてきた。

つまり運よくたまたま経済的幸せの多い国に生まれてきた。

そういうヤツらが、がんばったっていいと思うのだ。


日本は戦時中、アジアの国々の人に多く迷惑をかけたと聞く。

じゃあ、今度は子孫の僕らが、アジアの国々を応援したっていいんじゃないだろうか?


今回旅行に来ていたのはほとんどは大学生だった。

彼らは何を思い、何を考えてこの旅行に参加したのだろうか?


バスの中でみんなで最後の感想を述べあった。

いくつか心に残ってる言葉があるので、それを紹介する。

「自分が思っていたより、子供達はみんな楽しそうで幸せそうでした。」

「私はこの旅行に参加するために、1年間バイトしました。自分で働いたお金で参加しました。」

「このことをみんなに伝えていくことまでやって、この旅行は完結です。」



『使命を自覚したとき、才能は急速に伸びる。』という有名な言葉がある。

使命を自覚している大人って一体何%いるのだろうか?

君は一体、何のために生まれてきただろうか?

僕は、自分が何のために生まれてきたのか34歳までわからなかった。

34歳の時に2000億円貯めて、伝染病を1つ撲滅するって目標を決めてから、他の生き方がうらやましくなくなった。


どうせ生きるのなら一生懸命に生きたいと思わないだろうか?

ダラダラして時間が過ぎるのを待つのってどうなんだろう?

他人を幸せにしながら、それを幸せと感じる生き方って幸せなんじゃないだろうか?

自分に何ができるのか、挑む前からできませんという生き方はしたくない。



僕が今回タイで考えたことがある。

近いうちにそれを実行する。

1.今回お世話になった財団に、最低でもパソコンくらいは寄贈させてもらう。

2.日本の子供達のうち、海外に興味がある子を連れて行くことにする。僕が学ぶより学びが大きいはずだ。無料でもいいのだが、それだと学びが弱いのでいくらかは補助するが、いくらかは自分で稼いだお金を出してもらう。

3.炎集団やアファーメーションの先生達と孤児院をまわる計画を立てる。

4.自分で学校を作ることをせずに財団に寄付という形で、学校つくりを委託する。
  (直接作るという思想から撤退する)

5(できたら) 貧しい国の子供を日本に呼んで、日本を感じてもらう。(日本を見ることで、彼らの視野が飛躍的に広がるかもしれない。)


特に2番には力を入れたい。

最初は数人しか連れて行けないかもしれないが、海外に興味のある子を貧しい国に連れて行きたいと思う。


人生のド真ん中を歩んで生きたい。

そう思う。


やっとタイの話が完成した。

結構大変だった。


2000億円で伝染病を撲滅する日まで、善の道を歩んで生きたい。

読んでくれたみんなありがとう。


旅行で一緒だったみんな。

ありがとう。
| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(2) | - |
タイの恵まれない村に学校をつくる。その7
そして今度は山の中の道。

とげのある植物なんかが結構茂ってる道を通り、アカ族の村へ行った。

道中でこんなのに出くわすのだが、こういうのを見ると要注意だ。

精霊

こういう変わったところには精霊系なので、触らないように気をつけないといけない。

現地の人が神が住む場所とあがめていたりする。

とにかくヘトヘトになるまで歩く。

これまた恐ろしい場所にある村で、リュックサックはラフ族の村の人がバイトで運んでくれたからよかったものの、とんでもない場所だった。

そして…

そして…

向こうにアカ族の村が見える。

レンガっぽい屋根が見える?

なんだか都会?

アパ村

あと少しだ。

あと少し…


ドーン!

アカ族村2

アカ族村

基本は同じに見えるな。

ラフ族の村と…

集会所みたいなのがレンガ造りで3軒くらいあったけど、基本は一緒だ。

一緒じゃないのは、アカ族の家は一軒一軒、柵で囲まれてるってことくらい。

かな…




っと。
ってのがとんでもなかった。

一緒じゃなかった。


いつものように部屋が決められた。

ものすごく適当に決めている。

まあ、運だ。

で、僕が案内された家は、35歳くらいの夫妻と子供が3人の家だった。

「まず、お茶でもどうぞ。」

「はい。ありがとう。」







お茶

おい!

ちょっと待って!

これ、飲んで大丈夫か?

コップが汚れすぎだし、色が…なんか…変じゃない?

待てよ。

お茶を出されたら…

えーっと。

なんか2日前の村の説明の時にやってたな。

えーと。

確か…

「お茶は飲んでも大丈夫です。」

よし。

飲んでも…

おい!

ちょい。待てやー。

なんかその言い方変じゃないか?

飲んでも大丈夫って、「お茶はおいしいです。」とかじゃないの?

飲んでも大丈夫という表現にビビりながら、笑顔で飲むしかない。

やっぱ。

いらんと言えんもんね。

あいさつだしね。

と、ガイドさんを見たら

ピジャヘ

なんだか、くつろいどるやんけー。


味は普通のお茶だったが、ちょっと心配になった。

マイ ストマックちゃんを心配するよ。

やっぱね。

トイレもチェックしとこう。

トイレはラフ族の村と同じように、そとに作ってある手作りバージョンだった。

よし。

トイレの位置確認ヨシだ。

いざとなったら、下痢しまくってなんとか乗り切ろう。

いつものように探検してからご飯になった。

昨日のことを思い出した。

きっと今日はなかなかいいものが出て来るに違いない。

「ママ〜。まだ〜〜〜?」

とか思ってたら、いよいよ飯だ。


うおっ!

なんか違う!!

セミごはん

ママ〜。これさっき子供が捕まえて遊んでたせみじゃな〜い〜?

ぼくちゃんのご飯がこんなになちゃったじゃなーい。

せみごはん2.

ってまあ、それはいいんだけど、おいしかったし。

問題は下の写真の左端に見えるあの葉っぱよ。

あれ何?

アカ族ごはん。

あの葉っぱって、そこら辺の木の葉っぱを取ってたじゃん。

普通に。

調理なしー?

で、このナチュラルの葉っぱをどうやって食べるの〜?

えっ?

この辛い味噌につけて食べるの?

味は?

味噌味?

ちょい。ちょっと待って。

ってことは何?

その味噌があれば、飢え死にしないってこと?

だってどの葉っぱでも食えるでしょ?

味噌味で。

は〜。

サバイバルだった。


家の中はこんな感じだった。

アカ族家の中

なんだとー?

何も見えないじゃないかー!!

昼でも真っ暗な家の中だった。

もちろん電気なんか通ってない。

だから懐中電灯で見てみた。

ヤバイ。

こりゃあ、ヤバイ雰囲気よ。

うるるん。

しかも、相当レベルが高いよ。

お笑いの人が行くレベルのウルルン。

女優じゃ無理だ。このウルルン家は。

そこの子供もすごかった。

ほとんど裸足なので、家の外と中の区別はほぼない。

挙句の果ては11歳の男の子が野生の鳥を素手で捕まえていた。

そして足に糸をつけて遊んでいた。

その家にはにわとり10羽と犬一匹がいた。

すべて食用だそうだ。


夜はラフ族と同様に歓迎の踊りを踊ってくれた。

アカ族踊り

それがすんだら就寝だ。

寝床が暗くてよく見えなかったので、恐怖だったが、実際にも恐怖だった。

寝るとき、部屋の中に何羽かのにわとりと犬がいたのだ。

家の中に。

ものすごく小さいあの家の中に。

何度も何度も目が覚めた。

寝る場所も狭すぎ。

セミダブルくらいの広さのスペースに男3人で並んで寝た。

それはいいけど…





そこのニワトリ!

うるさいんじゃ!てめぇーわ!



とにかく、ニワトリがうるさすぎだった。

同じ部屋で寝てるから、バサッバサッとか、コケコッコーとかうるさすぎだった。


「ニワトリ!犬みたいに静かに寝ろ!」

って日本ではありえない文句を言いたくなった。

僕は海外旅行は基本的には大好きなのだが、さすがにこの日は早く次の日になって欲しかった。

次の日。

朝早かったが、起きることにした。

外に出ると朝の太陽があった。

アカ族太陽

意外にもタイの太陽は赤く、空気の微粒子によって青い系の光が散乱してるんだろうなって思った。

土が全体に埃っぽい。

それで散乱してるのか、何で散乱しているのかはわからなかったが、空気には微粒子が混ざってることは遠くの景色が見にくいことからもわかっていた。


いよいよ今日は、財団へ戻る。

いい経験ができた。
| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(2) | - |
タイの恵まれない村に学校をつくる。その6
ものすごいアップダウンの山道を歩き続けた。

寝袋をいれたリュックサックを背負いながら。

絶対に歩ける自信はあったのだが、着いたときの体調が心配だった。

山の向こうに煙が見える。

きっとあそこまで歩くんだろう。

あそこに山岳民族のラフ族が住んでいるだろうって思いながら歩き続けた。

途中で1回休憩があった。

肩からかけた水が温かくなっている。

顔が赤くなってることがわかる。

熱がこもっているんだろう。

「もうすぐ。もうそこ。」

ガイドさんが行った。

しばらく歩いていると、村が出現した。

ラフ村3

赤土の上に家が点在している。

人口は160人くらいらしい。

家は約40件あるそうだ。

村全体の広さは学校の運動場くらいだ。

学校の運動場くらいの広さの場所に赤土の道がくねくねとあり、その道沿いにポツポツ家がある。

僕らが到着すると、2人の子供達が僕らのことをチラチラ見ながら自転車の古タイヤで遊んでいる。

その村で一番大きい家の前に案内され、それぞれがホームステイする部屋を割り振られた。

僕はたまたま一番大きいその家に案内された。

家の中にはいるとそこのおとうさんとおかあさんがいた。

「おぶーじゃ」

ラフ語の挨拶をしたら、「おぶーじゃ」と返事が返ってきた。

そのときに手を合わせながら、言っている。

そうか、手を合わせながら挨拶するのか。

今度からそうしうよう。

ラフ族に僕らがどういう風に紹介されているかわからない。

挨拶を交わしたことで、とりあえず嫌がられていないもしくは怒ってないことはわかった。

奥にはいっていいか?というゼスチャーをしたら、はいどうぞ。というリアクションだった。

中は思ったよりきれいだった。

部屋は空中だ。

典型的な建物はこんな感じだ。

ラフ村

日本で言うと1階と2階の高さの中くらいにある。

床を竹で作ってあるために、ほこりは簡単に床下に落ちていく。

ラフ族床下

床下は子供の身長くらいの高さがあり、村中にいる豚やにわとりが道路や床下を自由に動き回っている。

そのあと、村を探検してみた。

小さな川が流れていて、他にも村から出る道があるみたいだ。

ラフ村2

一頭だが象も見た。

乗れるようになっているので、野生ではないことは確かだ。

飼われているものらしい。

ラフ象

ラフ族の人たちは普通は、Tシャツのような感じの普段着を着ているようだった。

普通のラフ族

夜は僕らのために祭りを開いてくれた。

ラフ族の衣装

全体的に、お客さんとして迎えてくれているような雰囲気で、居心地はよかった。

言い方を変えると、ラフ村という村の民間ホテルに泊まってるような感じだった。

例えば、食事も僕らには最高のものを振舞ってくれて、現地の人とは内容が違っていた。

現地の人はご飯と野菜と卵っていうような質素なものだった。

この写真は6人分の料理だ。

ラフごはん

ごはんとスープが一人ずつ、野菜と炒め物はみんなで食べる形式だった。

たくさん食べた方が喜ばれるということで、ガンガン食べた。


ラフ族の村を快適に過ごせたのは、これは村を富ませるための財団のアイデアであると考えられる。

このアイデアは、巧妙でさすがだと思った。

財団に村に入る前に注意されたことは大きく2つである。

1.宗教のルールを守って欲しい。
(触っていけないものや、やってはいけないことがいくつかあった。)

2.お金を渡さないで欲しい。

だ。

例えば、僕が…例えばである。

その村に100万円寄付したとする。

貨幣価値が違う村だ。

結構なことができるような気がする。

ところが、それをしてもだめだと思うのだ。

テスト勉強と同じで、子供に何かのテストで採点を甘くして100点を無理やりあげたとしても、その子は100点をとる方法を学んでいないので、次回のテストで100点が取れない。

一方、こうやれば単語の点が取れるよ。っていうことを説明してあげて、本当に単語の点が取れると次から単語ができるようになる可能性がある。

そのとき、こっそり甘めの採点をしてあげるという手法だ。

甘めの採点であることを、子供は知らなくても、単語を覚えたことに点が上がれば、次回も単語を覚える可能性がある。

そうやってたまっていくのはスキルなので、その子の実力になる。

同様のやり方だと思う。

もちろん、村の人のことを説明するのに、子供で喩えるのはどうかと思うのだが、でも思想は同じだと思った。

現地のお母さんが売るものを買うのはいいけど、お金はあげないで下さい。という発想は、今まで自給自足で生活していた村の人に、文化の違う人にモノを売るというスキルがたまるし、自分たちの作っている文化が、世界的に価値があるということを教えてあげることになる気がする。

しかも、現地のモノは買っていいですという言葉には。現地のモノを買ってあげてね。という含みがあると思う。


100万円をあげて、水道を引いてあげるのはいいと思うのだが、それではその村が発展していくことにはならないだろう。

今回、僕らがお客さんとしてもてなされたのも、きっと村にいくらかのお金が支払われていて、僕らの食事代なんかにも使われていると思った。

正直なところ、ご飯がゴージャスでうれしかった。

お客さん待遇でうれしかった。

僕は疲労と不安で、心が疲れていたのだから…



次の日。

ラフ族の村を離れ、アカ族の村へと移動した。

アカ族の生活はラフ族よりびっくりだった。

もし、ラフ族に行くのと、アカ族に行くことの順番が違っていたら、ちょっとヤバかったかもしれない…
| 炎みかみちゃん | タイの恵まれない村に学校をつくる。 | comments(0) | - |
タイの恵まれない村に学校をつくる。その5
朝起きた。

もちろん、気分はブルーだ。

海外旅行に来ているのにブルーなのだ。

だって、今日は山岳民族のところに行かないといけない。

財団は、なんとなく安心感があった。

ささやかながら電気もあった。

財団の車やバイクもあった。

何かあったらそれで病院に連れて行ってくれるだろう。

気に入らないことがあったら、怒ってヘリコプターを呼んでもらえばいいだろう。

でも、山岳民族のところに行くっていうのは、はっきり言って未知だ。

未知すぎる。

怖すぎる、マジで。

…行きたくなかった。

でも行かなければ来た意味がないし、2000億円貯めて伝染病を撲滅する僕の夢への前哨戦…というか第一歩目の準備なのだ。

やらなければいけない。

それを子供たちにも伝えるために、この旅行に参加したのだから…

僕が貧しい村に学校を作ってあげるってことを決めてるのだ。

そしてそこで育った子供たちが、その国を豊かに変えていく。

それをするためには、絶対に自分の目で現地を見ておかないといけないし、生活を体験しておかないといけない。

外からじゃ感じられないものを、感じなければいけないんだ。

とは言え、参加者の中で僕が一番気乗りしていなかったと思う。

自分の決めた計画に従うことだけでいっぱいいっぱいだった。

バンコクのスパかなんかでマッサージを受けながらトロピカルカクテルを飲む選択肢もあったので、余計につらかった。

僕は今はハングリーではないのだから。



成功者が同じようなことを多く書いている。

お金は生きている。

お金は常に動いていると。

自分のところに来ているお金の流れを汚いことに使うと、お金が悲しんでその流れが細くなる。

お金の流れをよどませると、お金が寂しがる。

お金の流れをきれいな方向に導くことで、その流れはさらに大きくなると。

僕はきれいな使い方をして、お金の流れを大きくしたい。

自分の力でできるギリギリの大きな流れを作ったら、一気に善行へと全力投入するのだ。

ランチェスターの一点集中を波動砲のごとく、伝染病撲滅に向けて全力投入する。

お金を残した方が幸せになるんじゃないかって言われることがある。

おそらくそんなことはない。

お金を残すことを考えるより、がんばった功績や幸せを残す方が自分も幸せになるし、子孫も幸せになるはずだ。

例えば、僕の子孫が、僕ががんばって貯めたお金で贅沢するのが幸せだろうか?

きっと違うはずだ。

お金が欲しければ成金を目指せ!だ。

スキルを貯めながら上に上がっていくことこそ大事だ。

最初から金があった家に生まれた財閥なんて、上品なもやしにしか見えない。

お金を残すことより、がんばりを残すことの方が大事だ。

そしたら、先祖がやれたんだから、俺もやれるはずってやつが絶対に出てくる。

スピリッツって財産を、相続させていくのが幸せだ。

炎集団だって同じだ。

「せんせーみたいにがんばるぞ!」、あるいは「まずは先生を抜かす。」って子がどんどん出てくるはずだ。

そういうスピリッツはお金に変えられない。

そうすることで豊かさが信用創造のように増えていく。

僕らが作ったがんばることをがんばる炎集団。

今からもっともっとカッコいいブランドになっていく。

コカコーラより、スタバより、ナイキより、メルセデスより、ヴィトンより、かっこいいブランドにする、炎集団を。

みんなでやる。

今、炎集団を世界一カッコよくするための小さい小さい最初の一歩らへん。

それはバンコクのスパじゃなくて、あの山の向こうにあるはず。

そいつに向かって行かないといけなかった。


僕は自分の私欲のためだけに働いているわけじゃない。

僕はダサいことをしたり、言ったりするためにがんばってるんじゃない。

僕は、命をかけてやっている。

普通の人ができないことをやって死ぬ。


山岳民族の言葉を勉強した後(あいさつ等を習ったのだが、化学のメモリーが減るのはいやなので覚える気がなかった(その結果、みんなに何度も同じことを聞いてしまった。ごめんなさい))、僕らはスタートした。

道

アカ族のお母さんが作ってくれた怪しい弁当を携え、寝袋や水が詰まった大きなリュックを背負いながら…

弁当

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タイの恵まれない村に学校をつくる。その4
財団で一泊した後、ボランティア活動を行った。

何をしたかというと壁をにコンクリートをつけていく作業だった。

壁途中

左側が、まだコンクリートをつけていない部分だ。

ブロックがむき出しになっているのがわかると思う。

最初は全部、ブロックむき出しの状態だった。

赤土を掘ってきて、セメントなどと混ぜてコンクリートをこねてから、塗っていった。

最終日と2日かけて全部を塗った。

下が休憩中の写真だ。

休憩ボランティア


なんとなく雰囲気が伝わってくるかと思う。

内部はこんな感じ。

建物内部


本当はたくさん参加したかったのだが、道具が限られていたことと、大学生ががんばってくれたので、僕はみんなに比べて働きが少なかった。

最終日に気づいたことなのだが、屋根はシンガポールのボランティアチームがやったらしい。

きっとブロックで壁を作ったチームもいたはずだし、これから仕上げに入っていくチームなどいろいろな人の手で完成していくのだろう。

ボランティアで作るこの施設は、ボランティアに使用されるとのことだ。

正直なところ、お金をかければ、地元の大工さんを雇えてもっとうまくそしてもっと早くできるだろう。

大工さんにお金を払うことで、経済もより活性化する可能性さえある。

ただ、世界のみんなが善意で作った建物がそこにできるということで、またボランティアの輪が広がっていくかもしれない。

壁の横には、それぞれが手型をつけてそこに名前を書いた。

僕は恥ずかしかったのでやらなかったが、この中の誰かが自分の手型を見るためにまたここを訪れるんだろうな、ってそんなことを思ってしまった。

20万円弱のお金をわざわざ払って(大学生にとっては大金だろう)、こんなものすごく暑い国の山奥の財団の建物を善意で作ってるってことは、きっとほとんどの人は知らないだろう。

でも、彼らが一部を作ったその建物で誰かがいつか勉強するのだ。

もしも、心の温かさを温度で示せるのなら、地球の温度が0.0000000000000000000000001度だけ暖かくなったに違いない。

それはきっと彼らやスタッフの人たちが上げた温度だと、僕は思ってしまう。

僕は、タイに来たことで8日間も塾に関する仕事を休んでしまった。

経済的損失は少なくても20〜30万円くらいは発生したはずだ。

でも、このことをこれからの授業でみんなに伝えることができるってことは、それだけの価値があるんじゃないだろうか。


財団にあった他の施設もボランティアが作ったのかもしれないってそんなことさえ思った。

他の施設


みんなで作ってるその建物の正面には、まさに僕らが8日間見慣れたありきたりのタイの風景があった。

タイ風景


明日はいよいよクライマックス。

山岳民族との生活だ。

この旅行のメインだ。

朝から、山岳民族の言葉を勉強してから山に入るらしい。

いよいよだ。
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