無料ブログ作成サービス JUGEM
みかみにメールはこちらにどうぞ。



↓ ↓ 伝説の「ヒキョーな化学」がゴロゴとタッグを組んで降臨 ↓ ↓

★化学基礎ゴロゴ★ 発売!! 


YOUTUBE 旅人みかみの受験化学の研究 


発信!みかみの参考書ブログ(YOUTUBE連動中!) 


↓ ↓ DVD販売・レンタルDVDは継続受付中です ↓ ↓

【炎化学DVD購入はこちら】 【化学DVDレンタルはこちら】

【数学DVDレンタルはこちら】 【英語天塾DVDレンタルはこちら】


←prev entry Top next entry→
今の俺と人生(備忘録)

他の人はどうかわからないが、俺はいつも不安と戦っている。

 

まさに杞憂である。

 

みんなから「いいね。」「いいね。」と言われ続けてきたが、「この生活が続かなかったらどうしよう?」とか「何かで1番にならないかといけない。」という脅迫的な気分から逃れられず、ずっと苦しんでいる。

 

だから「このままでいいはずがない。」という気持ちが常に続き、苦しかった。

 

時折、いいアイデアと思えるものが降臨してきて、そちらに流れそうになるのだが、それも長く続かない。

 

 

ブログがいい例だ。

 

ブログ復活の頃はいいものが書けるのだが、しばらくすると飽きてしまいネタに窮することになる。

 

 

でも、ここ数日の色々な出来事を経験し、自分を疑うことを始めている。

 

そもそもなぜ、なぜ1番にならないといけないのか?という疑問に関してだ。

 

俺はいろいろなことで1番にこだわってきたから、できるだけ無駄をしたくないという思いが強かった。

 

一番わかりやすい例がマラソンだ。

 

マラソンを趣味にしている人は多いと思う。

 

マラソンのタイムは人生には何の影響もない。

 

ただの自己満足なのである。

 

タイムが10秒縮まったところで走ってる仲間同士しかわからないし、誰も他人のタイムなど気にしていない。

 

そのタイムを勝ち取るために、膨大な距離を走り、我慢し、ある時は故障と戦い、ある時はランニングアイテムの購入や参加費の捻出などで財布と戦っている。

 

俺は、これに関しては非常に不毛に感じていた。

 

例えば、多くの人はお金を稼ぐために働いていると思うのだが、マラソンをすることで、仕事と全く違うベクトルが発生してしまう。

 

もしも、この時間を仕事に充てていたらもっと仕事のスキルが向上するはずだと思っていた。

 

仕事のエネルギーを違う方向にロスさせることに関して我慢がならなかった。

 

 

読書に関してもそうだ。

 

仕事に直結している本以外は、全く読みたいと思わなかった。

 

 

俺の趣味の海外旅行もそうである。

 

海外旅行は趣味と言いながら、いつかチャンスがあれば仕事と結びつけたいといつも考えていた。

 

卒塾旅行などで、一部仕事と結びついてがいるのだが、そういう次元ではなかった。

 

海外に行くことを生業としている人がいる。

 

海外旅行をそういう次元にまで持ち上げたいといつも思っていた。

 

ましてや、先生をしながら海外に行き続けた来たのだ。

 

俺にしかできないことがあるのではないかといつも考えていた。

 

だから、海外で生活している人やノマド生活をしている人が羨ましかった。

 

 

人間には潜在意識というものがあって、いつも意識化することでいつの間にか潜在意識のレベルになり、無意識下でも解が得られるようになる。

 

つまり、「負けたくない。」「何かをしなければいけない。」という気分をいつも持ち続けることで、ある時にアイデアが降臨したり、何かの情報に関してアンテナが検知することができてそのチャンスを逃しにくくなる。

 

 

例えば、いつも速く走りたいと思っている人は、ある時テレビでふと見かけた健康飲料や、スポーツ店で何気なく見たインソールの情報などを発見しやすい。

 

だから、自分が何になりたいかということをいつも考えていなければ、人生が不利になると考えていた。

 

 

ところがである。

 

今やっている仕事でさえよくよく考えたら、マラソン状態になっているのだ。

 

このブログひとつとってもそうだ。

 

昔の収益構造と今の俺の収益構造は全然違う。

 

昔は塾をやりながら動画配信やDVD販売などをしていたから、ローカル(地元)な仕事と、全国な仕事を同時にやっていた。

 

ブログなどを通じて自己を発信することは、同時に自分の宣伝にも繋がっていた。

 

現在はネット的な仕事からローカルな仕事へと、割合が変化してきている。

 

こうなってくると、全てのSNSが仕事と直結しなくなる。

 

お客さんは地元にいるのに、発信は全国に向けて。

 

マラソンと同じで仕事に直結していないことに力を注いでいることになってしまう。

 

 

 

さて、話を元に戻そう。

 

俺は「一番にならないといけない。」という強迫観念は男には必要なものだと考えていた。

 

縄文時代にイノシシをたくさん獲れるという能力は、他人の生活を守れる証であり、それがモテる男の基準の一つであったはずだ。

 

ただ、男の遺伝子に刷り込まれた「勝たないといけない」という遺伝子は、男特有のマイナス行動を生んでしまう。

 

例えば、「大きく見せたい。」「人前でバカにされたくない。」などである。

 

その結果いつもいつも見苦しいマウンティングの戦いになってしまうのである。

 

誰かが「パリに行ったことある。」と書けば、「シャンゼリゼのフランスパンが美味しいですよね。」だとか、「車を買い替えた。」と書けば「ウチには3台しかありません。」とかね。

 

ま、俺がその見苦しいやつなのだが。

 

 

なぜ1番にならないといけないか?という疑問については考えたことがなかったのだが(それは男の本能であり、必要なものであると思っていたので)、そこを考えてみると色々なことに気づいてしまう。

 

気づき1 今はイノシシを獲る時代ではない。

 

気づき2 必ず1番にはなれない。

 

 

わかりやすく書いてみたい。

 

気づき1 今はイノシシを獲る時代ではない。

 

縄文時代の村ではイノシシしか獲っていなかったかも知れないが、今は漁師だけでなく、自転車屋さんだって、漫画家だって、弁護士だっている。

 

こういう仕事を横並びにさせて一元的に比べることができないほどに多様化している。

 

ただ、俺の仕事は塾の先生だ。

 

塾の先生同士は、例えば売り上げや生徒数などで比べることができるので1番をとることが可能だ。

 

 

気づき2 必ず1番にはなれない。

 

例えば、地元の市で1番になろうと努力したとする。

 

市で1番になったら、県の戦いがある。

 

県で1番になったら全国の戦いがある。

 

地球で1番にならない限り(つまり地球で一人)、永遠に1番ではない。

 

だとすると、市で1番になったとか、この町で1番になったとか、この単元では1番になったとかどこかに1番の線引きをして、1番を納得しない限り、永遠に1番は取れない。

 

こう考えると、必ずみんな何かしらの1番になってるわけだから、自分の中でそれを理解すればいいだけのことなのではないだろうか。

 

 

 

俺は自分の目標範囲の中で何回も1番をとってきたから、1番の取り方(その範囲の中での)を知っている。

 

 

そして俺にはいくつかの生きるためのノウハウがあるので、もはや自分が一生食っていけることが、自分の中で確定していることを知っている。

 

やっていけることが確定しているのなら、わざわざ挑む必要が本当にあるのだろうか?

 

縄文時代に、イノシシを確実に生きるために獲ることのできる男がいる。

 

その男が言う。

 

「俺は日本一のイノシシを獲るために、あの大海原に挑戦する。」

 

これ必要か?

 

怪我したらどうする?

 

 

 

世の中、マラソンしたり、陶芸したり、釣りをしたり、将棋をしたり、キャンプしたりしてもみんな生きていってるのに、ここでそれを一切やろうとせずに、ただ仕事のフレームを大きくすることに挑むって大事?

 

確かに挑戦し続けることはカッコいいが、今あるものを完成させたり綺麗にすることを頑張ることもありなのではないかと気づいた。

 

 

 

俺はきっと死ぬまで生きていける。

 

目標が大きいと不安で疲れが溜まるかもしれない。

 

結局、食べれて寝るところがあればいいわけだし、それは自分の中で死ぬまであると想像できる。

 

 

今の自分の力を100とすれば、いつも200を目指していると色々考えることがありすぎる。

 

どうして今まで、そのことを考えなかっただろう。

 

 

目標を200にするのではなく、目標を30にするって発想は思いつかなかった。

 

そもそも車も動けばいいわけだし、海外旅行も毎月行く必要はない。

 

それでも、それでも海外旅行に行き続けると思うし、欲しいものがあれば買うと思う。

 

 

ただ、海外にチャンスを探さないといけないと思いながら行く海外旅行と、行かなくてもいい海外街旅行では感謝と満足度が違うと思う。

 

目標が感謝して生きることであれば、今の生徒数はすでにとても多い。

 

まだまだ増やすと思って生きるより、一人一人の子供達により温かく接することができるような気がする。

 

 

こうならなければ必ずいけないという色メガネを外して、多くのことを見た方が素敵に見えるのではないだろうか。

 

 

もしも、もしも、目標を30に下げて生きるとしたら、今まで生きてきた戦略が大転換されることになる。

 

そもそも目指す方角が変わってくるのだから、これからの選択はガラッと変わるものになるだろう。

 

 

 

俺も、ふとそういいことに気がついたので備忘録として残しておくが、そういう生き方もあるんだと気がついた。

 

まあ、悪くないかな。

 

 

 

| 炎みかみちゃん | - | comments(0) | - |
Comment
name:
email:
url:
comments: