ブロガーやめて長すぎるので、ちょっと書き方のコツを忘れてしまった。
確かある程度長く書いて、タメになることや想いを書かないといけないんだった。
そういうブログを少しずつ思い出していきたい。
ところで、昨日12人もの人がいいね。を押してくれたんだね。
俺みたいにサボってたようなやつのことを覚えてくれてて、いいね押してくれたみんなありがとう。
今日は最近感じていたことを書いてみようと思う。
俺が、「よくないと思う親子関係に関係について」だ。
これは単に俺だけの意見で、誰かをイメージしているわけではないことを最初に書いておく。
授業でかなりまずいのは、舐められることである。
若い先生にありがちだと思うのだが、授業で舐められたり、生徒が友達関係になってしまうと授業の制御ができなくなる。
「はい。○○くん答えて。」
「ちょっと無理っす。」
なんて答えられた日にゃあ、もはや何も教えることができない。
「生徒との距離が近い?」
バカ抜かせ。
こっちはお金をいただいて勉強を教えさせてもらってるのに、生徒と友達になってどうするの?
勉強以前に生徒に夢を伝えることもできないし、未来を示すこともできないじゃないかって思う。
そもそも生徒と一緒に楽しい話してるはずだったのに、ある日突然「あの先生は遊んでばかりで授業してくれない。」って裏切ってくるんだぜ?
同じことが親子関係にも言えると俺は考えている。
「子供の意見を尊重します。」
「子供がしたいように見守ってます。」
ってよく聞くが、そんなものは10%でいい。
子供なんて世の中のことをまだまだよく知らないんだから、親が教えてやりゃあいいんじゃないかって思う。
俺の小さい頃の話でもしようか?
俺は焼きそばが好きだったから、昼に母親とよくお好み焼き屋に行ってた。
なのに、ある日母親が今日は中華ねって中華の店に連れて行かれた。
俺はお好み焼き屋に行きたかったのに。
「焼き飯とレーメンください。」
レーメン?
初めて聞く食べ物だった。
俺にはいつもの焼き飯が運ばれて、母親には冷麺がきた。
なんじゃそれは?
俺は母親の冷麺を一口もらってびっくりした。
その外観からは全く予想だにしなかった、酸っぱいんだけど甘い初めて食べる味だったからだ。
その日から俺は冷麺を食うようになった。
俺が生きていくための辞書に、冷麺というワードが増えた瞬間だった。
母親が俺のいうことを聞いてくれなくて、お好み焼きに連れて行ってくれなかったことで、俺は冷麺を覚えることができた。
授業をするときには「最初はこれをして、こういう風にやって、最後はこれでこう締めくくる。」みたいなシナリオがあるはずだ。
それを子供のペースに合わせて、楽しくしてしまうと逆に効率を落としてしまうと思う。
それは子供にとっても損であるし、お金を払ってくださった親御さんの損失だし、日本全体の損失でもあると思う。
富士山に登って感動するのは、その道中がきついからなのだ。
もしもエレベーターでスーッて富士山に登ってたら、誰も感動しないはず。
子供はわざわざ自分から苦しい富士山に登ったりしない。
親が舐められていたら、子供を富士山に連れて行くことはできないだろう。
俺が時々授業中に、「親に舐めた態度をとるなよ?」って授業と関係ないことを言ってるのは、俺なりのみんなへの愛情だ。
俺は反抗期という言葉を認めていない。
反抗期なんか正当化する必要ないと思っている。
勉強できるできないよりも、親が親として子が子として成り立っている家庭がある方が重要なんじゃないだろうか。
子供が困ったときに、「親に助けてもらおうと思う」のか「親を利用しと思う」のかそれは大きな差だと思っている。
すでに子供に舐められている親でも、少しずつつ権力を回復して欲しい。
その方が子供の器が広がって行くのではないだろうか?
頑張れ親たちよ。
というわけでちょっとくらいいいな感じた人は、クリックして応援してほしい。
明日はもっと上手く書けるようになるはずだ。
人気ブログランキング